公共事業を増やそうと提案する人達について

警察官を大幅に増やすなら、重大な犯罪を減らすことができそうです。

しかし警察官を大幅に増やそうという提案をする人達がいるとして、その人達の提案は受け入れられるとは限らない。

それは犯罪が減らなくてもいいのかと力一杯叫んだところで変わるものではありません。

これについては、提案をする人達の方もそういうものだと思わなくてはいけない。

同様のことが公共事業についても言えます。

一部の人達は公共事業を増やそうと提案しています。

ただ、この話はあまり多くの人には受け入れてもらえなかった。

それなりに発信力がありそうな知識人や経済評論家が数年前からずっと公共事業を増やそうと提案し続けています。

それに共感した一般人もこの提案の宣伝を手伝ってきました。

また、それなりに視聴者がいるチャンネル桜という番組も、この提案の宣伝を相当に手伝っていました。

それでも公共事業を増やそうと提案は受け入れられていない。

提案してきた人達からすると、この結果は残念なものでしょう。

しかし、この結果についてもそういうものだで済んでしまうような話でしかありません。

もしも一部の人達が熱心に提案していたことによって公共事業費が爆発的に増えるという結果になるなら、その方が意外性のある結果だった。

公共事業を増やそうと提案していた人達の多くは、

提案したけど駄目だったという結果に対する反応がおかしくなっている。

例えば、自分達の提案にさほど関心を持たなかった多くの一般人を愚民のように言っている。

また、経済学に詳しい人や、リフレ派と呼ばれる人達に八つ当たりをするかのように文句を言っている。

そんな公共事業を増やそうと提案していた人達がどのようにおかしいかについては、こんなふうに考えたらいいでしょう。

日本人の生命や財産のことを心配している人達が作った健康食品や防犯装置があるとしましょう。

しかしこれらはろくに売れず、

政府に補助金を出させて人が商品を買いやすくするという提案も通りませんでした。

そんな結果について健康食品や防犯装置を世の中に普及させたかった人達は、この商品の価値に気が付かない庶民は馬鹿だと愚痴っています。

この場合であれば、愚痴っている人達に逆に文句を言ってもいい。

公共事業についても同じです。

たとえ公共事業を勧める人達が他人の生命や財産を心配していようと、そんなものは大きなお世話なんです。

経済学に詳しい人や、リフレ派と呼ばれる人達に八つ当たりをしている事についても、お門違いと言ってもいい。

他の人達がどのような経済政策の話をしているのかとは無関係に、公共事業を勧める人達の話には魅力がなかったのですから。

例えば、公共事業を勧める人達は防災にお金をかける事の必要性を熱く語ります。

しかし、それと並行してリニアを走らせようという話もしている。

だから人の生命や財産を心配する人の話ではなく、公共事業費を増やしたい人の話に見える。

また、必要となりそうな公共事業にお金を使うにしても、それは比較的不要な公共事業を減らつつそうする、というのでもいいはずです。

それではお金を使えずにデフレ対策にならないという反論をする人もいるのですが、別に公共事業以外でもお金は使える。

それなのに公共事業費が大幅に増えるという結果にならないと気が済まないような人達がいて、その人達が公共事業を増やそうと言っている。

これでは土建業界の広告塔みたいに思われることがあっても仕方がないでしょう。

公共事業を増やそうと提案してきた人達がするべきことは、一度頭を冷やすことでしょう。

一般人を愚民のように言い、

経済学に詳しい人やリフレ派に八つ当たりをして、

それでどうなるというのか。

森友学園加計学園の件でマスコミみたいに安倍総理の非難をしつこく続けている人もいますが、これだって意味がない。

公共事業を増やそうと提案してきた人達の話にはあまり魅力がなかったのですが、この魅力は増えるどころか減り続けている。

冷静でありそうな人が減ったせいでそうなっている。

選挙に落選するというありえる結果に対して選挙結果が改ざんされていると言い、

過激な事をするようになったオウム真理教の連中でも反面教師にしたらいい。